2013年1月29日火曜日

総選挙後の自民党政権とTPP


 20121216日の衆議院選挙で、自民党はTPPに関して「例外なき関税撤廃を条件とする限り参加はしない」との公約を掲げ勝利をした。特に農村部にてTPP反対を必死に訴える農民たちからの期待を背負った候補者が大量に当選したといってもいい。選挙前、毎日新聞が行なった全候補者アンケートによれば、TPPに反対あるいは慎重と答え当選した自民党議員は約6割。また全国農政連から「TPP反対」を条件に推薦をもらった議員は182名(自民党163名、公明党7名)、うち173名が当選している。自民党にはもともとTPP反対・慎重派議員からなる「TPP参加への即時撤回を求める会」という党内組織があるが、選挙前には約120名だった同会は、選挙後に新人議員の加入を中心に一気に増え、123日時点で203名となった。筆者は選挙後、同会会長の森山裕議員と面談する機会があったが森山氏は「TPPは関税だけの問題ではない。党内の推進派をなんとか説得して参加をとどまらせたい」と語っていた。

 自民党内の反対派の動きは、有権者からの思いを背負う形で、また次期参院選に向け非常に盛り上がっている。業界団体として最大の勢力であるJAや日本医師会などのバックアップも大きい。私たち反対の市民運動側も「参院選までは参加表明などしないだろう。万一、したとしたら有権者への裏切りであり、また参院選で自民党は惨敗するのだから」という分析で共通しているように思う。

しかし、懸念はぬぐえない。

 何よりも日本のTPP参加は、残念なことに国内の政治の力だけで動いてはいないからだ。まずは日本の財界からの圧力。衆院選の結果を受け、経団連・日本商工会議所・経済同友会の3団体は談話を発表、そこでTPP参加を改めて強く求めた。また1月7日には3団体による共同記者会見を行い、「早期に首相の訪米を実現し、参加表明していただくことを願う」(経団連・米倉会長)、「早く正式に、交渉への参加を表明すべき」(経済同友会・長谷川会長)と政府に圧力をかけた。財界人は有権者や政党の公約など、簡単に無視できると考えていることに怒りも感じるが、要は民意と党内反対派、そして財界からの圧力に自民党は板挟み状態になっていると私は見ている。
安倍内閣とTPP(あべよしひろさん作成)

 さらにいえば米国からの圧力である。すでに民主党政権時代から水面下で行なわれてきたいわゆる「TPP参加への前払い」として、BSE対策の輸入牛肉の月齢規制がつい先日緩和された。これはいうまでもなく米国からの圧力の結果であり、TPP参加への準備段階という見方も可能だ。またTPP交渉を取り仕切る米国通商代表部(USTR)は12月開催の第15回交渉会合後、交渉自体の妥結を2013年末を目標に交渉を加速させる、と発表した。主要分野(市場アクセス、知的財産、国有企業、原産地規則、労働、環境)では交渉が難航しているが、米国から譲歩を引き出すことを念頭に、具体的な妥協案を示す国もあるなど、交渉を進めるための駆け引きも行われている。米国に限らず、他の参加国にとっても「いつまでたっても交渉が妥結しないのは無意味」であるため、現実的な妥協点の探りあいが始まっているのだ。
 
 会合に参加していた交渉官や反対しているNGOなどは「おそらく、10月にバリ島で行なわれるAPEC会議の時点で、大枠の内容を決めていることをUSTRは目指しているようだ」という認識が広がったという。米国にとってのTPPは、「日米FTA」に等しく、日本の参加がなければ米国に何のメリットもないことを考えると、今年前半に参加への要求も高まる可能性がある。あるいは、日本の参院選などの「事情」を考慮した米国が、交渉自体は11か国で粛々と進め、すべてが決まった後(=参院選後)に日本は入ればいい、と考えるケースもある。もしこの場合、すべての交渉内容がほぼ決まった後に入る日本は、後から修正や変更を述べる機会もなく、決められたルールに従うしかない。問題は、このような主権をないがしろにしたプロセスについて、「日本の主権者である私たち」が決めておらず、米国政府とUSTRが基本的には決めている、という事態であろう。

こうした懸念にとどめをさすのは、第二次安倍内閣の主要閣僚の顔ぶれである。甘利経産相をはじめ閣僚には自由貿易論者が多い。また今後TPP問題を扱う部署・組織として編成された「経済財政諮問会議」「日本再生本部」「産業競争力会議」などの人事を見ても、財界トップや経団連副会長、TPP推進派の伊藤元重東大教授、さらにはかつての小泉構造改革をけん引した竹中平蔵氏まで、その布陣は新自由主義に基づいたTPP推進一色である。少なくともTPP問題だけを見ると、政党としての公約と、この人事はまったくちぐはぐな印象を持たざるを得ない。これらを見ていて「自民党は必ず公約を守ってTPPに参加しない(あるいは参加しても日本の不利益にならないよう交渉してくれる)」と、信じられるだろうか。

 ではこのような状況の中で、私たちTPP反対の運動はどのような動きをつくればいいのか。まずはTPP反対の議員(与野党含め)との連携の強化であり、政府への強いプレッシャーである。参院選もその一つの契機になろう。TPPへの参加は民主主義そのものへの破壊であり、主権の問題という認識をさらに広げ、TPPに反対する多くの団体・人びとと仲間になっていくことも大事だ。私たち「STOP TPP!!官邸前アクション」では、衆院選直後に全衆議院議員の「賛成・反対というTPPへの態度」を表すリストを各種資料から作成し、官邸前やウェブサイトでも発信している。日本の政治に足りないのは「選挙後に議員を厳しくチェックする」という行為だと私は思っているので、今回「TPP反対」を掲げて当選した議員に対して、本当に国会内でそのように主張しているか、を私たちが監視していかねばならない。さらには、TPPに参加しないことになっても、今後現れるであろう自由貿易協定に対しては警鐘を鳴らしていくべきであり、逆にTPPではない互恵的なアジアレベルの貿易の在り方をも、私たちの側でも構想していくことも重要である。

 自民党―民主党―自民党という、2回の政権交代ということ自体が、社会運動にとっても初体験であり、その力が試されている。妥協せず、総合的に、しかししたたかに、あらゆる政治勢力と関係をつくりながら運動を進めていく力が、求められている。

2013年1月23日水曜日

社会運動の試練―自民党政権下の反TPP運動


 20121216日の衆議院選挙で、自民党が「圧勝」し政権交代が再び起こった。多くの人がすでに指摘しているとおり、この「圧勝」とはまやかしである。主には小選挙区制と、マスコミによる「自民勝利」のムードと「入れたい議員がいない」という状況がつくりだした結果であり、有権者は決して自民党を積極的に支持したわけではない。
 しかし、自民党は勝利し、政権は変わったことはゆるぎない事実である。
 私自身は、2年前、菅首相(当時)が「TPP参加」を突如宣言して以降、TPP反対運動に取り組んでいる。農民団体や生協、労働組合、NGO、市民団体など多くの人たちとともに、議員への働きかけや集会、キャンペーン、デモなどを日常的に行ってきた。
 今から考えれば、民主党政権とはじつに「奇妙な」政権だったとつくづく思う。組織的とは決して言えず、同じ党内の議員の中でTPP反対派と推進派が深刻な対立をしていた。何よりも政権の座についた直後の理念は3年間で相当に変化し、末期の野田政権はまさに「新自由主義」政策を体現するような有様となった。だが、だからこそ、私たちのようなTPP反対の市民組織やネットワークが、党内のお家騒動や見解の根本的不一致による混乱という「どさくさ」に乗じて、反対派議員とある種の協力や共闘関係を築くことができたのかもしれない、と思う。
 年が明けてから、新たに与党に戻った自民党議員とのパイプづくりに取り組む中で、ますますそう感じるようになった。自民党政権は、極端な右翼的政策と人事、日米同盟堅持、そして経済政策としては民主党と同等のネオリベラルなものである。一時は自公民の連立という話も出たことからも、基本的には民主党時代と何ら基本政策は変わっていないというのが私の評価である。
 しかし、多くの有権者が自民党を選んだのは、「民主党のあぶなっかしさは怖い。もっとしっかりした感じの政党がいい」というものだろう。そう、確かに政策内容とは別の次元で、自民党は「しっかりした印象」を私たちに与える作戦で選挙選に勝った。事実、組織運営や党内のTPP推進派への働きかけなど見ていると、民主党にはできない「政治」を駆使している。「ああ、これが政党だよな」とうっかり感心してしまいそうになる。
 その場合、社会運動にとっての問題は、二つ。一つはそのような行動様式を持つ自民党は、たとえTPP反対派であっても必ずしも「市民社会との対話や共闘」を望んでいないという点。要は「政治は政治の世界で片づける」と思っていることだ(もちろん民主党が市民社会との協働を強く望んでいた、というわけではないが)。
 もう一つは、「TPP」「原発」などのシングルイシュー運動の限界である。自民党議員の中には、TPPに反対していても、原発容認だったり、アジア侵略の歴史を歪曲する人たちがかなりの数存在する。こうした議員と、いったい運動はどう向き合うのか。実際、TPP反対での協力要請をしに行った自民党議員の部屋には、高々と日の丸が掲げられていた。原発容認の議員もいる。そのとき私はどう反応するのか。そういうリアルな問題である。TPPは暮らしや国の在り方、文化そのものを変えてしまう可能性がある危険な貿易協定だ。ならばなおさら、「どんな社会であるべきか」という点に踏み込まざるを得ない。当然、原発やオスプレイ、その他のイシューを含むトータルな政治理念を私たちも問う必要がある。そこでどのような態度で、言葉で、私たちは語るのか。
 これらの答えはすぐには出ない。とにかく2回の政権交代ということ自体が、社会運動にとっても初体験であり、その力が試されている。妥協せず、総合的に、しかししたたかに、あらゆる政治勢力と関係をつくりながら運動を進めていく力が、求められていると思う。