2014年2月18日火曜日

チリの政権交代はTPP交渉に何をもたらすか

 20131215日、チリ大統領選挙。中道左派のミチェル・バチェレ前大統領が当選し、4年ぶりに大統領に返り咲く。野党連合の支持を得て企業増税や教育無償化などの改革を訴え、格差への不満がくすぶる国民から支持を得た。任期は20143月から4年間となるので、もうすぐ就任という時期だ。
 この報せが届いた瞬間から、私たちTPPウォッチを行う国際NGOグループは、今後チリがTPP交渉で果たすであろう役割について強い関心を払い続けてきた。残念ながら日本ではマスメディアにも深い考察はなく、国内のTPP反対グループの間でもあまり強い関心がもたれていない。2月に入ってからで少し遅いニュースとなるが、ぜひこの視点をご紹介したい。

Photo: UN Women Gallery / Flickr
 2013年1028日、バチェレ氏は1117日に行われる大統領選に向けた選挙公約で、「TPPの見直しを行う」と宣言した(註1)。
 その理由は2つ。一つは、TPPそれ自体が、チリにとって最も重要な貿易相手国である中国との関係を損ないかねないという判断。もう一つは、TPPの強い自由貿易度が、自国内で貧困や格差をさらに広げ、社会的基盤をも揺るがしかねないという判断だ。
 昨年末にTPPに反対して退任、その後バチェレ選対に入ったコントレラス元TPP交渉官は、オバマ政権のもと進められるTPP交渉の危険性について訴えている。
「オバマ政権が欲する経済モデルを無批判に受け入れることは、我が国への脅威となる。国際的な経済変動の中で、TPP参加国は最終的に経済危機の影響に晒される。投機的な資本の流れをさらに自由にすることは、我々の経済の安定性を保護する合法的なツールを奪う。TPPは、チリの公共政策を形作る能力を制限し、金融機関を支配し、健康、教育と経済発展の問題に関与する。」(註2)
 バチェレ氏自身も、TPPは、知識財産、医薬、政府調達、サービスと投資などの分野で、すでに締結している米・チリFTAの間接的な再交渉を求めてくることになると警告している。
 
 少し話が脱線するが、こうしたバチェレ氏の方針について、日経新聞がウソの報道をしている。下記、バチェレ氏当選のニュースを伝える同新聞の記事引用を、抗議の意味を込め、記者名も入れて紹介する。
「 【サンティアゴ=宮本英威】南米チリは15日、女性2人による大統領選挙の決選投票を投開票し、野党・左派連合の候補で前大統領のミチェル・バチェレ氏(62)が与党候補を破った。4年ぶりに中道左派が政権に返り咲く。環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の参加国であり、引き続き自由貿易を重視する経済政策を続けるとみられる。」(赤字筆者。以下略)

 TPPをめぐる方針としては、まったくの「ウソ」である。バチェレ氏は明らかにTPPのような自由貿易協定を見直すと公約に掲げているにも関わらず、「自由貿易重視」と書くとはあまりにも悪質である。日本の新聞にまた一つ絶望した。

 さてバチェレ政権に話をもどそう。
 バチェレ氏が前大統領だったのは20062010年の4年間である。好調な銅輸出を背景に女性の年金を拡充。任期中は高い支持率を保っていた。
 チリは、中国を含め多くの国とFTAを結び、2005年にはTPPのP4メンバーとして協定に調印、2006年より発効している。現在のTPP交渉国のほとんどの間にも、すでにFTA締結済みである(カナダ、メキシコ、ペルー、米国、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、日本(EPA))。米国とのFTAを締結したのは200366日(200411日協定発効)である。つまりバチェレ氏が政権に就く以前に、米国とのFTAが締結されていたのだ。
 米国とのFTAや、NAFTAのような数か国間での自由貿易協定は、米国以外の国に悪影響を与えてきた。NAFTAからちょうど20年を迎える今年、「NAFTAの負の遺産」に抵抗する運動も改めて強まっており、同時にその負の影響を考察したレポートも数多く出されている。別の角度から見れば、自由貿易協定の「影響」は、ただちに出るものではない。もちろん単純な貿易額や輸出入統計、GDPのように数値としてすぐにはじきだされるものもあるが、実際にそれらにFTAがどこまで関連しているのかという因果関係や、より社会的なインパクトについての因果関係を見出すまでには少なくとも10年はかかると私は見ている。
 チリが米国とのFTAを結んだのは、2003年。ちょうど昨年で10年だった。バチェレ氏が出馬表明でTPPを見直すといったのは、単なるイデオロギーの問題ではない。ペルーなども同様だが、米国とのFTAによって、チリでは貧困層が医薬品へアクセスできないという問題が生じ、そもそも貧困層が増えるなどの影響が出てきている。だから、彼女はTPPを見直すと公約に掲げたのだ。

 バチェレ氏の再選と歩みを同じくして、チリでは12月、49名の国会議員がTPP交渉の透明性を求める書簡を公表した。各国でも問題になってきている「秘密交渉」について、チリでも「非民主的」として情報公開を求める動きが国会議員の中にも生まれているのだ。

 バチェレ氏が就任するのは来月の311日。オバマ大統領の4月アジア歴訪の直前だ。あくまでも「早期妥結」と「自国に有利な内容での妥結」の両方を無理強いしている米国に、チリがどのような対応をしていくのか。その動きと主張に注目したいと思う。そして何よりも、私たち日本の市民社会がチリの有権者、国会議員に学び、呼応していくことが求められている。

【参考資料】